昨年、石巻と女川を車で回った時のこと。あるスーパー跡の前で助手席の母(仙台在住)が「ああ、ここ! ここで津波の後炊き出しの手伝いしたのよ」と急に思い出したように叫びました。
一言で言うなら「もうしっちゃかめっちゃかだった」。
牡鹿半島の付け根に、伊達政宗の欧州派遣の復元船があるのですが、そこの公園で会った小さな子を連れた若い母とその母。
うちの母が「こちらはどうでしたか?」と聞くと「我が家も流されて、近所の人も波に飲まれて…今も大変だけど、なんとかやっています」
その後の少しの沈黙と遠い眼差しは、この地に住む三人だからこそ分かる感覚を共有しているようでした。
海抜ほぼ0メートルの石巻市街地から海を見ると、まるで海がこちらに溢れ寄せてくるように見えます。少し奥の平地に退避するかのように住宅地が急ピッチで整備され、海岸線には高い防潮堤が建てられている様子がそこかしこに見られました。
こればかりは、当地へ足を運ばないと感覚として分からない。ということはあります。
とはいえ、少しでも何かを伝えられないか。
今週と来週の週刊長野は、東日本大震災から5年たち、今なお避難生活を送る人や支援を行う人にスポットを当てました。